私、また別の秘密をばらします。
その秘密は、私の夢です。
いつの頃か、できた夢です。
私は、自分が、なんで、障害者になんてならなくてはいけなかったのか?
何度、考えても答えが出ませんでした。
昔から好きな映画館、美術館。
いつもひとり。
いつも、チラシを持って帰っていました。
時間が経って、チラシはゴミになっていました。
でも、また、持って帰っての、繰り返し。
辛い青春時代を、美術館、映画館、本屋さん、雑貨屋さんが、一瞬でも、輝きに変えてくれていました。
その辛い時期を、なんとか乗り越えた時、私の心に、夢をみることを、教えてくれました。
私の心が、キラキラ輝きました。
どんな夢もみれる。
どんな夢も、叶うと、心が踊りました。
その過程で、今度は、障害者になりました。
自分が、障害者だと受け入れることは、簡単ではありませんでした。
薬を飲まなければいけない。
飲まなければ、眠れない。
精神科に通わなくてはいけない。
知っている人に、ばれたら、どう思われるか怖い。
いろんな葛藤がありました。
悩みました。
泣きました。
親と折り合いが悪く、一緒に住めなくなり、生活保護になりました。
生活保護も、私の肩身を小さくしました。
また、ばれたらどうしよう?の、毎日でした。
その生活を、10年くらいしました。
私の中に、夢が生まれました。
私が、障害者として困った事を、誰かを助ける事で、自分が障害者になった意味を見いだせる、
ちょっと、偉そうに感じられるかも知れないけど、そう、思いました。
私の出来ることは、入院中に、先生に、自分で詩や、物語を作っていたこと。
デイケアで、想像上のイラストを書いていたこと。
先ずは、それを、誰かに見てほしかった。
感想が欲しかった。
だから、タイムライン?のようなものに書いていた。
でも、誰も、見てくれなかった。
自費出版は、お金がかかる。
もう、諦めていました。
でも、今、その夢は叶い、今、こうして日記を書いています。
物語も、見てくれている人がいるそうです。
嬉しい限りです。
この場を借りて、お礼を言わせて頂きます。
本当に、ありがとうございます。
これからも、見て下さい。
それとは別の夢がありました。
NPO です。
障害者の人の自立を応援出来る、NPO がしたかった。
では、何をしてもらうか?
それが、頭の中をめぐり、思いつきました。
映画館のチラシと、美術館のチラシで、袋を作ってもらうこと。
これは、自分でも、いい発想だと思いました。
無料で、しかも、宣伝にもなると
映画館では、上映を終了しても、TSUTAYAのレンタル屋さんの宣伝にもなる。
美術館も、画家の名前を覚えてもらう、いい宣伝になると
それを、他のお店が真似してくれたら、これはもう、ちょっとした町お越しになるんじゃないかと。
発注が増えたら、袋を作ってもらうことが、また増えて、仕事になり、給料も、あげられると、思いました。
その袋を作ってもらうことは、A 型やB 型の、作業所に行くのが、困難な人の、おこづかい稼ぎ、
自力で、お金を手に入れてもらいたくて、考えました。
本当は、入院中、お金がなくて、何も買えない状態で、お金があったらなあ?
と、思っていた私の感想から、入院中の、元気な患者に袋を作ってもらうことと、思っていました。
でも、入院中の患者に、働く許可は、難しいと思い、変更しました。
その、袋に、障害者の人に作ってもらった作品を入れて売ること。
それだけでは、成り立たないだろうから、簡単なおもてなしの、喫茶が出来ればなあ?と、今も、思い、宝くじのミニロトを買っています。
パッチワークがひろがったとき、無料で、生地をくれる人がいたので、
何年前かに、段ボール1個分、もらって、部屋の隅に置いています。
この生地でも、袋を作ってもらえると思って。
もう、カビが生えているかも知れないけど。
袋は、私の記念にとっておいた、プリクラ写真をコンビニでコピーして、作って見ましたが、
さすがに、誰かが持っていたら、恥ずかしいかなあと、今では却下です。
せっかくだから、写メに載せます。
喫茶で働いてもらう人は、B 型の人です。
でも、A 型の給料をあげたいです。
そして、働いてくれる人は、店の料理、飲み物、無料にします。
そして、お客様には、スタンプカードを作って、私の集めている、本の付録、ぬいぐるみ、アイドルグッズ、もちろん、河合奈保子さんのものも、交換するつもりです。
もちろん、店の無料券にも、使えるようにします。
長くなりましたが、これが私の夢です。