猫の安楽死を、家族が望んでいるという記事だった。
安楽死って、私は、ありだと思う。
ペットにとっても、愛情を注いでくれない飼い主、虐待する飼い主なら、
ペットの方も、逃げ道があっていいと思う。
私の昔飼っていた犬。
柴犬とスピッツのあいのこの雑種の大型犬。
勿論、幼い私が飼っていた訳でなく、親というか、父親が飼っていた犬。
引越し前かなあ、ちょっと家を留守にすることになって、
犬の餌を、仲良しのおばさんに頼んだことがあった。
犬は、タロウという名前だったんだけど、タロウとおばさんは、顔見知りだった。
しょっちゅう、私の家に出入りしていた、タロウも多分、心許していたおばさん。
だけど、私達家族がいない家に、ひとりぼっちになったタロウは、
おばさんのやる餌を、ひと口も食べなかったと知らされて、急いで帰った想い出がある。
タロウは、捨てられたと思ったんだなあと、幼心を痛めた想い出。
タロウは、私がちっちゃい女の子でも、飼い主と認めてくれていたのかなあ?
私の言うことに逆らったことがない。
噛んだこともない。
飼い主と、ペット、見えないけど絆が生まれるものだと思う。
タロウが、捨てられたと思ってか、餌を口にしないほどのショックがあったのだと思うと、
簡単には、ペットは飼えないと今でも思っている。
そんな、最低限の想いをもって、ペットを飼ってほしい。
餌を食べれないほどの心の傷を、ペットでも、確かに負ってしまう。
ペットにも、私達と同じ、心がある。
その心をズタズタにされてまで、生きさせる意味が、どこにあるんだろうと思ってしまう。
私達、人間にも、国が定めている、安楽死が存在する。
もう、苦しみたくない、未来も絶望なら、安楽死を望む人がいる。
認める国がある。
だったら、動物にだって、安楽死の選択はある筈。
でも、口にできないから、逃げ道がない。
私達、人間にだけ許されている安楽死。
その人間の立場の者には、ペットを飼う時、覚悟を決めてからにしてほしい。
心をズタズタには、しないでやってほしい。
私は、今は、猫も好きだけど、43歳になるけど、まだ自分のことで精一杯だから、ペットを飼う覚悟はありません。
でも、地域猫に餌をやりに行って、遊んでもらっているだけで、充分です。
時々、ネットで載せられている猫や犬の姿を見て、楽しんでいるので、充分です。