宝来 恭子img_3631

私は、小学校4年の時に、母親の実家の尾道に転校してきました。

中学生の時は、先生達に可愛がられて、楽しい学生時代でした。

でも、苦労がなかった分、人に思いやりの気持ちは持ってませんでした。

私が、私が、だったと思います。

高校の時、大きなグループの中にいましたが、ある日、私の悪口を書いた手紙をいろんな子に回していたのを見て、人間不信になり、イジメにもあって、中退しました。

でも、今の私があるのは、そのイジメを経験したからだと思える様になりました。

辛かったから、自分は誰もイジメないでいようと、自分の戒めになってくれました。

でも、簡単にそう思えた訳ではありません。1番苦しめられたのは、私が障害者になったことです。

夜更かしをすることが多くなったある日、突然、眠れなくなりました。

でも、いつかは眠れるだろうと、ほっときました。

どれくらいの月日が流れたかは覚えていませんが、親戚に用事をことづかっていた最中、天井がクラクラッと、宙に舞いました。

これは、メニエルだと思いました。

まだ、尾道の古浜に農協病院があった時、駆け込みました。

でも、説明を受けた職員は、精神科を紹介しました。

私は、ためらいながら、精神科の扉をくぐりました。

三好先生は、私の言ったメニエルを検査させてくれました。

人差し指で、鼻の頭を指して下さいと言われ、問題なく指せた私に、精神科に行くよう言われました。

自分が、障害者であることも、精神科に行かなければならないことも、薬を飲まないと眠れないことも、どうあがいても、受け入れなければならない事実。

私は、薬を飲まなくなりました。

半年くらいして、先生から呼び出されました。

今、この場で薬を飲んでくれたら、何も問題ありませんと。

でも、飲まない意志を伝えると、入院を勧められました。

私は、売店もあり、遊べると思ったので、即、OKしました。

 

私は、岡山県井原市の西江原で産まれました。

山本団地で、お兄さん、お姉さん、歳下の子、ごちゃまぜで、遊んでもらっていました。

1人の時は、草むらで、トカゲをとっては、逃がし、とっては逃がしと、素手で、トカゲが逃げるのを捕まえられるのが、トカゲに勝ったようで、私には楽しかったようです。

ただし、茶色のトカゲ限定です。

青光りしてるのは、気持ち悪かったです。

トンボも素手でとっていました。

ブロックの塀に止まっているトンボを後ろからそっと手を伸ばし、羽根の上に両手を準備します。

そして、そっと、羽根が傷つかないように、おろして捕まえては、白い卵のようなものを出すまでは、遊んでもらっていました。