宝来 恭子
私は、小学校4年の時に、母親の実家の尾道に転校してきました。
中学生の時は、先生達に可愛がられて、楽しい学生時代でした。
でも、苦労がなかった分、人に思いやりの気持ちは持ってませんでした。
私が、私が、だったと思います。
高校の時、大きなグループの中にいましたが、ある日、私の悪口を書いた手紙をいろんな子に回していたのを見て、人間不信になり、イジメにもあって、中退しました。
でも、今の私があるのは、そのイジメを経験したからだと思える様になりました。
辛かったから、自分は誰もイジメないでいようと、自分の戒めになってくれました。
でも、簡単にそう思えた訳ではありません。1番苦しめられたのは、私が障害者になったことです。
夜更かしをすることが多くなったある日、突然、眠れなくなりました。
でも、いつかは眠れるだろうと、ほっときました。
どれくらいの月日が流れたかは覚えていませんが、親戚に用事をことづかっていた最中、天井がクラクラッと、宙に舞いました。
これは、メニエルだと思いました。
まだ、尾道の古浜に農協病院があった時、駆け込みました。
でも、説明を受けた職員は、精神科を紹介しました。
私は、ためらいながら、精神科の扉をくぐりました。
三好先生は、私の言ったメニエルを検査させてくれました。
人差し指で、鼻の頭を指して下さいと言われ、問題なく指せた私に、精神科に行くよう言われました。
自分が、障害者であることも、精神科に行かなければならないことも、薬を飲まないと眠れないことも、どうあがいても、受け入れなければならない事実。
私は、薬を飲まなくなりました。
半年くらいして、先生から呼び出されました。
今、この場で薬を飲んでくれたら、何も問題ありませんと。
でも、飲まない意志を伝えると、入院を勧められました。
私は、売店もあり、遊べると思ったので、即、OKしました。
私は、岡山県井原市の西江原で産まれました。
山本団地で、お兄さん、お姉さん、歳下の子、ごちゃまぜで、遊んでもらっていました。
1人の時は、草むらで、トカゲをとっては、逃がし、とっては逃がしと、素手で、トカゲが逃げるのを捕まえられるのが、トカゲに勝ったようで、私には楽しかったようです。
ただし、茶色のトカゲ限定です。
青光りしてるのは、気持ち悪かったです。
トンボも素手でとっていました。
ブロックの塀に止まっているトンボを後ろからそっと手を伸ばし、羽根の上に両手を準備します。
そして、そっと、羽根が傷つかないように、おろして捕まえては、白い卵のようなものを出すまでは、遊んでもらっていました。